お盆の時期はどこも物静かで、普段頭の中でああでもないこうでもないと四六時中思考し感じていることを一挙に出力するにはなにかと好都合なのです。
今日のお題は言霊(コトダマ)。思うところを少し書き綴ってみました。
吉倉大晄 です。こんにちわ
さて、冒頭の写真は東京大神宮です。縁結びの神社としてメディアで取り上げられているのでご存知の方にとっては説明不要でしょうが、こじんまりしたこの小さい神社は伊勢神宮の遥拝殿です。大神宮という大きくでた名前は中に入ったときに感じる格式の高さと一致します。
全国的に商業的な意味あいが強い神社ですが、そろそろ戦前のような本来の姿に向かって舵を切るのではと感じるこの頃です。
普通、神社はお願いごとをする為に多くの方が訪れるわけですが、・・・
名前と住所を告げたうえでお願いする
神社でお願いごとをするときは、ご自分がどこの誰なのかをお伝えして『私』を特定させた方がス~と入っていけます。そのうえでお願い事をする。
一方で、神社でなくとも、普段生活において、発する前の未発状態の言葉や、実際に発した言葉が叶うことも往々にしてあります。
言葉そのものに力がある
そのような言葉に宿る不思議な力のことを私たちは、コトダマと呼んでいる。
私をユニークに定義し意志を過去完了形で言葉にする
神社でお願いごとをするなら、
1.コトダマを発する『私』がどこの誰なのかをユニークに定義する
➡住所氏名を述べる
2.コトダマを発する『私』がどうしたいのか、という『意志』を言葉にする
➡願望ではなく意志を言葉にする
3.その『意志』は過去完了形で言葉にする
➡願いが叶った時点のさらに未来に視点を置く
ということを守れば、きっと願いはかなうことでしょう!!
2018-08-16
23:59:50
あとがき
常々思うに、神社でお願いする際、それは誰に向けてするものなのだろうか?
人ではない神という存在を信じ、その神に向けてお願いごとをされる参拝者は実際のところどの程度居られるのだろうか?
そのような漠然とした疑問が湧く・・・
コトダマは時空間を超え絶えず漂っている
以前書いた記事のように仮に神というものをもし定義したのなら、百歩譲って、人間一人ひとりみんなが神だと解釈することもできる。
それは、『私』という神が発した言葉でこの世界に新たな現実を創造できる。ということとイコールになる。
そして、『私』という神は神社に行かなくても常に今ここにいるわけだから、いつでもどこでも、私をユニークに定義し意志を過去完了形で言葉にすることで、この世界に新たな現実を創造できるのだと言える。
~私の願いごと~「社長に就任したい」
➡住所氏名を述べた後、『私は社長になった』と言葉にする
記)2018年8月16日
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