民族は、神話があってこそ存続できる。
日本には、世界に誇れるきちんとした神話が存在する。
日本の神話・・・『古事記』
吉倉大晄 です。こんにちは
日本の誇れる文化の一つに、漫画がある。
漫画の歴史をさかのぼれば、鳥獣戯画までさかのぼるのだろう。正式名は「鳥獣人物戯画」と言うらしく、平安・鎌倉時代の漫画として著名な国宝絵巻なのだそうだ。
なので、日本にとって、漫画は文化といってよいと思う。
漫画と小説
同じ題材であっても、漫画と小説では、脳の反応の仕方はまるで違うらしい。一説によれば、見たこともない光景が右脳を刺激するらしく、そういった意味で漫画のもつ自由なアングルや描写は最適なようだ。
だからというわけもないが、日本の神話を伝える古事記も漫画を通して感じとってもよいのではと思う。
神の定義
古事記にはたくさんの神が登場する。しかもやたらと漢字ばかりで覚えにくい。そもそも神とは何なのか。実在するのか。どうでも良いようなことを疑問に思う。
仮に、100万歩譲って、神がいたとしよう。
どのような事象をもってして、(人とは限らない)その存在を神と認めるかをまず定義したい。
この宇宙の中にある現実を変えられる存在が神
つまり、神とは、新たに余分に考えた事が、そのままこの世界に余分に表れるような力を持った存在だと定義づける。
大方この定義なら反論はないだろうと思う。
だとすると、程度の差はあるにしても、現実を変えられる力さえあるならば、その存在は神だということになる。
万一身近に、そのような人がいたのなら、その人を神と思ってもよいのではないだろうか。
人それぞれ、意志により現実を変える力は持っていると思う。ならば、人はみな神だといってもよいのではなかろうか。
多世界解釈
人生は、物事の選択の繰り返しで成り立っている。
右を選択するべきか・・・、左を選択するべきか・・・
右・左で右を選択した人生が今の人生なら、左を選択した人生もどこかにあるはず。
右を選択した世界と、左を選択した世界が平行して存在する。そのような解釈を多世界解釈(量子力学の観測問題における解釈方法の一つ)という。
意志を使い、ある時点から、もう片方を選択したほうの世界にスイッチする。つまり現実を変える。
それができたなら、その人は神と言えるのではないだろうか。
願いは自分にする
だとすれば、人は意志の使い方次第で、一人ひとりがみな神である可能性は大いにある。
ならば、神社などでのお願いは、漠然とした神という存在に向けて行うのではなく、鏡に映る自分自身に向けて行うのが自然と言える。
自分に対するお願いを自分にするのだから、遠慮せず命令口調で構わない。
『私の願いを叶えろ!』と命令をするのみ。
それはエゴでも何でもない。
その時、無欲の願いは叶ったと映る。
2018-04-24
00:45:45
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