吉倉大晄 です。
とある方向へ行くとよいことが起きます。
一日だけその方位へ行って帰ってくれば、日盤吉方取り
何日かかけてその方位へ行って帰ってくれば、方位取り
何か月間かかけてその方位へ行って帰ってくれば、仮吉方
言葉の定義はあいまいながらも、やっていることは現地での滞在期間が違うだけ。
仮吉方なんかは、今の住まいを引っ越ししたくない人が行う苦肉の策ながら、お勧めでもある。
仮吉方・・・見知らぬ土地で、新たな生活がスタートするのですから、方位がどうだとか関係なくそれだけでなんかわくわくしてくる。もやもやの気持ちが積もるこのご時世、何も考えず思い付きで、実行したらよい。
『決意』した瞬間から運勢は大きく変わりだす・・
印鑑は持ち歩くお守りでもあるのです
前回記事のとおり、印鑑を制作いただきました。
私は、それをお守りとして扱い、実印・銀行印・認印とも可能な限り持ち歩いています。
たかが印鑑という人が目で認識できるこの小さな物質(柘植)に何の力があるというのか?その真偽を確認するには、可能な限り持ち歩き、現れる現象を体験するしかないだろう。
幸運印鑑を持つことで予想できた事
相の良い印鑑が人に影響を与えるのが事実なら、それはおそらく方位取りで得られる方位効果と同じような体験ができるだろう。と仮説を立ててみた。
問題は、その現象がどの位のインパクトで起きるのかが未知数ということだ。このような小さな物質(柘植)なのだから当然小さな効果で終わるのであろう。だから、少しでも効果を自覚しやすいよう、なるべく持ち歩いたわけなのだが。
タイミングよく起きた出来事1
印鑑が宅急便で手元に届いたのが7月8日。その少し前、つまり印鑑が私の所有物として発送準備されていた頃の7月6日から明確に本ブログのアクセスが伸びており、それは徐々に加速している。
今まで簡単に超えられなかった一線をあっさり超えてしまった事はある意味喜ぶべきことなのだろうが、これは偶然と捉えるべきなのだろうか。
私自身は、おそらく一過性のものであろうとは思うのだが。検証という意味では、もっと長期観察し、結果を出すべきだと考えている。
タイミングよく起きた出来事2
印鑑が宅急便で手元に届いたのが7月8日。その少しあと、つまり週明け7月10日の月曜日。朝から背筋が凍った。恐れていたことが現実となり、多方面にとんでもないご迷惑をかけてしまい、今に至るも完全解決には時間を要する有り様である。
昨日からやっとその呪縛も溶けつつあり、ある程度の余裕が持てるようになってきたところでふと思った。
実はこれは不幸印鑑ではないのか?
真剣にそう思わせるほどのインパクトがあったからそう思ったのだが・・・
結局どうなのか
偶然かどうかはさておき、今まで一切兆候すらなかったことが起きたこの2つの現象をもとに考えれば、明らかに影響があったと考えるべきだと捉えている。ひいていえば、これを『偶然』のひとことで済ませる事もできる。
となると『偶然』とはそもそも何なのかという新たな疑問が湧く。
そして、それは哲学的な話へと展開されていく。
2017-07-20
00:06:08
解説
一連の現象は、過去の方位取りにおける方位効果と印鑑の相乗効果だと感じている。
方位効果についても言える事だが、一見、大きな凶とも思えるイベントの後、そのことが引き金となって、大きな吉が舞い込んでくることもある。
後者はまさにこれに該当する。と思いたいが、結論はまだ早い。
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