人が『空間』を移動するということの本質

日々素朴な疑問を持つことが多く、その疑問を探求している過程で、今までの考えを改めることがままある。

今日もそのような一日なんだろう、・・・朝一にひいたタロットはそう言いたがっているようだ。

今日はどんな一日?

今日はどんな一日? 少し、違った視点で物事考えてみようか!

こんにちわ。三週間ぶりのブログとなります。

今日私は朝から、並木通りのクリスマスの準備が進む、東京・渋谷の表参道にいます。

東南60度の象意の「整い」の意味もあり、思い付きで、昨夜急遽、昔からお世話になっている整体院に電話し、ほぼ強引に営業時間外に予約を受け入れてもらい、1年ぶりの骨格矯正に行ってきました。(まさか本当に受け入れてもらえるとは思いませんでした)

事の発端は何だったか記憶は定かではありません、がここ最近、『人の能力って何をもって判断するのか?』そんな漠然とした疑問を抱えています。

そんなこんなで、以下、話は続きます・・・

人の能力の評価

左脳は論理的思考(目をつかう) 右脳はイメージ力(直感をつかう)

なんだかんだ言ってもまだまだ左脳中心の社会ですから、なかなか右脳に秘められた力を使う機会は少ないと思います(仮に顕現されていてもこっそり使うのが普通かなとも思います)。でもですね、元々あるものを使わないでいるのはなんとももったいないことだと思うのですよ。

まずはリラックス

右脳を開かせようとする際、まずはリラックスしないと話になりません。そのためにまずは何より、体中の神経の詰まり(歪み)を取るというのが私の昔からのやり方です。(人によってはまれにこれだけで右脳が開く人いますしね。)

肉体を調整するか、エネルギー体のほうを調整するかの2者択一

私の場合、前者は力技の整体で、後者は気功で調整しています。正直、気功だけでいいかなとも思いますが、経験則上、身体と相談しながら両方使っています。

リラックス出来れば呼吸も楽になり瞑想なんかもしやすくなりますしね。

ここは横浜

ここは横浜

さて、身体を矯正したあと、横浜へと移動・・・

目的は、保江邦夫先生のお話を聞くためなのです。

空間を大事にする

高名な先生ですので、あえて説明するまでもないでしょうが、今まで非科学的として扱われてきたスピリチュアル的な事柄も科学として扱える理論(形而上学的素領域理論)を確立された先生です。この理論を使うと、魂だの祈りだの念だの、この世あの世といった事を理論的に説明ができてしまいます。

教わるとは、知識のことではなく、先生がもつ場と共有すること

著書は読ませていただいていますので、理屈的なことは大方理解してはいます。今日訪れたのは知識目的ではなく、先生の持つ場に触れることが目的です。私にとっては、教わる内容がまったく同じであったとしても、誰から教わるのかが重要で、ある意味、話の内容は間違っていてもよいのです。

本日そんな気持ちでお伺いし、最前列で、しっかり先生の持つ場と共有させていただき、じかにお話を聞いてきました。と、同時に私の中での今までの考え方を少し修正するきっかけともなりました。

ふぅ~、朝一のタロットはこれだったのかと・・・

2017-11-24
23:55:36

おまけ解説

占い屋的な視点も交え、保江邦夫先生の理論を私の言葉を加え紐解いてみたので、よろしければご参考までに。

・・・

遥か昔から、偉人たちに言わせれば、世の中は『空(くう)』だという。目で見ている世界はそこに物があるように見えているだけで、ほとんどが空だという。

何もない状態、つまり『真空』は完全調和している安定した世界。その完全調和が自発的に崩れると、肉眼ではとても捉えられない極々小さい泡のような領域を生み出す。

我われが五感で認識している『空間』とは、実はこの極小な泡(素領域)が集まったもの全体のことで、この世と呼ばれる。数学的に確率上は3次元の泡が一番発生しやすい。

一方、その目に見えない泡(素領域)と泡(素領域)の間を埋めている『真空』の部分は完全調和の世界であり、我々が言うあの世。

泡(素領域)の内と外なので、この世とあの世は背中合わせの表と裏の関係となっている。この世の裏側であるあの世に我々が魂とよんでいるモナドというものがある。

これらをもっと細かく言うと次のようになる。

まず『真空』の完全調和が崩れ、泡(素領域)ができる。一方で、泡(素領域)の中に完全調和へ戻そうとするエネルギー(素粒子)が発生する。そのエネルギー(素粒子)の種類はいくつもあって、どの泡(素領域)の中にどのエネルギー(素粒子)があるべきかというのを『真空』にいるモナド(魂)が制御する。それが人モナド(魂)なら泡(素領域)の集まりは人の形をしていて、各々の泡(素領域)の中のエネルギー(素粒子)を制御しきちんと機能するように最終的に物質化し人の形にしている。したがって、人モナド(魂)はこの世の存在をあの世から支えていることになる。

人が目で物を見るという行為は、エネルギー(素粒子)を見ていることにほかならない。目では見えないけれども、そのエネルギー(素粒子)を取り囲むように泡(素領域)があり、さらにその泡(素領域)の外側を魂が取り囲んでいる。

以上から、あくまで、人は魂が本体であり、物質化される肉体の鋳型の役目をしている。

人が空間を移動するということ

それは人モナド(魂)が移動することである。例えば、人が東へ1m動いたとすると、泡(素領域)の中にあるエネルギー(素粒子)は人モナド(魂)の移動と共に空間中の泡(素領域)をどんどん飛び移りながら最終的に東1m先のしかるべき泡(素領域)の中に収まるようエネルギー(素粒子)を制御する。

生命を維持するということ

人の肉体は絶えず細胞をいれかえることで生命を維持している。どの泡(素領域)にどのエネルギー(素粒子)を入れるかは人モナド(魂)によりすでに決められている。細胞をいれかえるとはつまりは、泡(素領域)の中のエネルギー(素粒子)を人モナド(魂)の命令に従って、予め決められた同じエネルギー(素粒子)でどんどん入れ替えているということ。

我々の体の細胞、つまりエネルギー(素粒子)は、1週間でおおよそ90パーセントが入れ替わります。また3か月で脳の一部を除き総入れ替えになります。病気とは、決められた同じエネルギー(素粒子)で入れ替えができなくなり、まったく別のエネルギー(素粒子)が入ることです。つまり、病気の原因は魂側にあり、肉体側ではないのです。病気治療の正しい方法は指令を出している魂を正すこと。

精神的なもの(念じたり、祈り)が効くのはそういうことであるし、またそれが病気治療の正攻法でもある。偽薬が効いたり、病は気からというのも全く同じこと。言い方を変えるなら、『念じたり、祈ったりすることで、あの世が色々と調整してくれる』、ということです。

人が死ぬということ

それは人モナド(魂)がエネルギー(素粒子)を制御できなくなるということ。その時、人モナド(魂)が移動しても、移動前に人モナド(魂)が取り囲んでいた泡(素領域)の中のエネルギー(素粒子)は取り残される。つまり、肉体と魂が分離する。その時、人モナド(魂)が取り囲んでいる泡(素領域)の中にエネルギー(素粒子)は存在しないため、そこには『空間』だけがあるように見える。これを我々は霊と読んでいる。

来世とはどういうことか

人が死んで人モナド(魂)が取り囲んでいる泡(素領域)からエネルギー(素粒子)がなくなったとしても、またしかるべき(完全調和が崩れた)時に、泡(素領域)の中にエネルギー(素粒子)が生まれる。我々はそれを来世と読んでいる。

以上の意味から、肉体に魂が宿るのではなく、魂に肉体が宿るのが正しいことになる。

エネルギー(素粒子)を制御しなくなり、肉体を持たなくなった人モナド(魂)は、完全調和な『真空』の一部分でありその形・大きさは変幻自在でどこへでも瞬時にいける。どんなに距離があろうがどこへでも行ける。複数の場所にも同時に行ける。『空間』の隙間(裏側)を通って。

だから、人が死んだときその魂は、生きている人(つまり肉体を持った人モナド(魂))のところへ『空間』の隙間(裏側)を通って瞬時に、また複数の箇所へ同時に行けるわけで、そのことに何ら疑問を感じる必要はないのです。

そして、あの世ってどこにあるのかと聞かれたならば、それはここにありますよ。と答えればよいのです。

・・・

以上、厳密性よりも、わかりやすさを優先し書き綴ってみました。

なお、保江邦夫先生曰く、この世を物質化してくれているエネルギー(素粒子)の入れ物としての泡(素領域)がどういった分布でどのように広がっているかを意識することが必要だと言われています。それは結果として、泡(素領域)の集まり=『空間』を大切に大事にするということがとても重要だということです。

・・・

最後に、私がなんでこの理論に行きついたかといえば、霊とか魂とかはどうでも良くて、
人が『空間』を移動するということの本質を知りたかっただけなんですね・・・ま、でも、空間を大事にするという結びの点においては同じ気持ちですので私的にこの理論が心に響きます。

(おまけのほうが長くなってしまった感がありますが、ご勘弁を)

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